もう一人の名工
─ドワーフ族 ルゲル─
100年以上もの間、人の足が踏み入れられる事のない未踏の地。
コタムカイン雪原──。
その雪原から程近く、ここにも人が全く近寄る事のない場所がある。そして、その見渡す限りの白い世界の中にあって永久に溶けることのない豪雪地帯に彼の住居兼仕事場があった。
「ただいま帰りました」
一人の魔族の女が一仕事を終えて、その男の仕事場に現れた。
「ああ……帰ったか、ご苦労だったな……で、どうだ……?」
ややくぐもった声で年老いた男は女魔族に訊ねた。
「ええ、受注した分の武具は無事に納めました。皆、相変わらず品が良いと喜んでいましたよ♪」
女魔族はどこか誇らしそうにそう言った。
「ワシの作るモノが出来が悪いワケないじゃろうが!そうじゃなくて、訊きたいのは王女の件だ!!」
男は不機嫌そうに言い放つ。
「もっ……!申し訳ありませんっ!!王女の行方はやはり……わからない様です……」
「そうか……相変わらずのヤンチャ娘だな……アイツ等も大変だ……」
他人事の様にそう言いながらも彼のその言葉にはどこか暖かいモノが感じられた。
「色々と探してはいるみたいですが、彼女は先代王女から受け継いだ絶大な魔法力がありますからレムオル等で姿を隠して逃げ回る事など造作も無いことでしょうね……」
姿を消す事の出来るレムオルという魔法はかなり高等な呪文と言えた。少なくとも人間界にその使い手は殆どいない。
「ただ、少し気になる話しもありまして……」
「気になる話し……?」
女魔族の言葉に男は反応する。
「ええ、どうやら天界と魔界で何かが起きていると……まぁざっくりとした噂話し程度ではありますが、警戒心の強い彼等の事ですからもしかしたら……」
「ふむ……何かを感じたか……それともヤツ等独自の情報網から何かを掴んだのか……」
「そうかもしれませんね……ただ、なんにしても王女の行方不明と関係なければ良いのですが……」
「ふむ……確かにそうじゃな……だが、天界はともかく魔界に関して言えば大魔王バーンが倒された事が何かしら影響を与えているのかも知れんな………魔界を二分していた勢力の片方が崩れたとなれば、あの冥竜王が大人しくしているワケがない……」
年老いたその男は鋭い視線を虚空に向けて呟く。女魔族もそんな男の表情をみて険しい顔で頷いたが、ふとある一人の男の事が脳裏に浮かんだ。
(「ロン………」)
女魔族のその思い詰めた顔を見て年老いた男はゆっくりと腰を上げる、すると近くの棚から一つの酒瓶と一通の手紙を手にして女魔族にその手紙の方だけを手渡した。
「ルゲル様……?」
「どういう風の吹き回しか……お前とワシの留守の間にどうやらヤツが来たようだ……今朝ワシが帰ったら扉の前にその手紙とコイツが置かれていた」
男は手にしている酒瓶を持つ手を軽く上げながら言った。女魔族は怪訝な表情で、その手紙を受け取ると、ルゲルと呼ばれたその年老いた男は読んでみろと目で訴えてきた。それに応える様にその手紙を開く。すると、見覚えのあるその文字に彼女はその目を見開いた。
「まさか……!?」
「そのまさかだ……アイツが魔界を出てこの地上に来たばかりのその頃以来だから……ざっと90年近く……全く今更何のつもりか……」
しかし、ルゲルのそのくぐもった声からは、その相手を憎からず思っている事が不思議と感じられる。
「お前もそう思うだろう?キュレ……」
「私は……」
キュレと呼ばれた女魔族はそう言うと俯いてしまった。ルゲルはそんな彼女をみると鼻で笑いながらも柔らかい笑みを浮かべて言う。
「アイツは俺の元から去る時、必ず真魔剛竜剣を越える武器を作ってみせると息巻いていたが、何の事はないその後のアイツの噂はろくなもんじゃなかったな………」
ルゲルはキュレに背を向けると作業台の上の古い小さなタンブラーに手にしていた酒瓶を傾けて中身を注いだ。
「だが、まぁ……酒の好みは変わらんらしい……」
注いだ酒をルゲルは一気に呷る。
「お互いにな……」
そう言って微笑すると、キュレに告げた。
「エルフのトコから帰って来たばかりで悪いが、アイツのところに行ってみちゃくんねぇかキュレ……」
「え……!?」
キュレは思わず驚いた顔をルゲルに向ける。
「アイツがここに来たことを考えると余程の事があったのかも知れん……もしくわこれから何かがあるのか……」
ルゲルは神妙な眼差しで先程の様に虚空を見つめる。すると、キュレが訊ねる。
「しかし、私は彼の居場所など……」
その問いにルゲルは再び鼻で笑いながら言う。
「フン……惚けるな……お前がワシに隠れてヤツの居場所を突き止めていたことはとっくに知っているわ……」
ルゲルは鋭い視線をキュレに向ける。
「も、申し訳ありません!何度もご報告しようと思ったのですが!」
師の目を盗んで独断で行っていたこと故にキュレは大いに恐縮した。
「まぁいい……お前のアイツに対する想いをワシも知らんワケではない……」
「い、いえ……」
キュレは顔を赤らめながら俯いている。
「アイツが大魔王バーンを討った勇者に肩入れしていた事は情報通のエルフ達に訊いたが、実際はどうしているのかははっきりとは解らんでな……すまんな……ワシも着いていければいいんじゃが、ようやくアレの修復を進められそうな良い材料も手に入ったのでな……少しでも進めないとならん……」
言いながらルゲルは仕事場の奥に視線を向ける。
「いえ、あの剣の修復はそう簡単にはいかない事は私も理解しておりますから……」
キュレはそう言いながら、ルゲルがかつてエルフの里にキュレと赴いた際に先代のエルフの王女から直々にある剣の修復を依頼された場面を思い出していた。
「王女……この剣はまさか……!?」
「はい……この剣こそが、我がエルフ一族が代々伝え守りし伝説の一刀……レーヴァテインです」
その剣は不思議な力を醸し出していた。普通の剣と違い、どこかこの剣自体の意思の様なモノを強く感じられる雰囲気があった。それ故、持ち主を選ぶ剣だと言う事を容易に感じさせた。また、それでいて非常に強大な力を内に秘めながら、今はただじっと自分に相応しい持ち主を待ち続けている様でもあった。
しかし、残念なことにその刀身には今にも折れてしまいそうな深い傷が刻まれていた。
「この傷は……?」
ルゲルが厳しい眼差しでその傷を見つめながら問う。
「遥か昔、我がエルフ一族の神にして最初の王フレイルはこのエルフの世界をその手に収めようと画策した魔界の軍勢との戦いに挑みました。我等の祖先でもある当時のエルフの戦士達も王のフレイルと共にその熾烈な戦いを繰り広げました。そして、とうとう魔界軍最後の将軍との一騎討ちにおいてフレイル王はこのレーヴァテインで見事にその相手を斬り倒しエルフの世界を守り抜きました。しかし、その将軍の渾身の最後の一太刀を受けたこのレーヴァテインは将軍を斬り倒した一振りを最後にこの様な深い傷を刻まれ、今日まで数百年の長きに渡り修復が成される事は叶わなかったのです……」
エルフの神にして初代エルフ王フレイルとその彼の愛刀レーヴァテイン。そして、フレイルが一族を守る為に戦った経緯とその後のレーヴァテインに起きた事象を切々と語る先代王女の話にルゲルは真剣に耳を傾けていた。
「成る程……その様な歴史がこの剣にありましたか……」
「この数百年、魔界のみならず天界にもこの剣の修復を求めて、その情報を得る為に手立てを尽くしたのですが……」
王女の言葉にルゲルはゆっくりと顔を上げると訊ねる。
「それで、ワシの事はどこで?」
王女はその問いには答えず、ルゲルの少し後ろで待機しているキュレに視線を向ける。
「あちらの方は娘さんですか?」
「ん?あ、ああ……まぁ弟子のようなモノです……こいつともう一人、出来の悪いヤツがおりますが……」
「ロン・ベルク……ですね?」
その王女の言葉に目を見開いて驚いたのはルゲルではなくキュレの方だった。
「フフ……やはり存じておりましたか……王女もお人が悪い……アイツの手を借りたいが為にワシ等をここへ呼んだのですな……」
ルゲルはその皺だらけの表情の中に鋭い視線を王女に向けた。
「何故?そう思うのです?」
「あなたは先程こう言った……この剣の修復を求めて天界と同時に魔界にもその伝を求めたと……ならば魔界の名工ロン・ベルクの名を知らないワケはない……しかし、ヤツは今現在、魔界の君主大魔王バーンの側に居ついておる……つまりエルフの王女たるものが大魔王との繋がりのある男にノコノコと顔を合わせるワケにもいかないと、恐らくはそちらの側近辺りが進言したのではあるまいか………?」
そう言って、ルゲルは更に強い視線をエルフの傍に控えている側近に向けると、側近は思わずたじろいだ。
「フフ……さすがに鋭いですね……その眼力は武器の目利きだけに使うワケではなさそうですね……」
「しかし、残念ながらワシ等もヤツとは暫く顔を合わせてはおらんのです………無論何処にいるのかも見当もつきませんで……」
「そうですか………しかしルゲル殿……私は少し違う見解なのですよ……」
「違う見解……?」
その言葉にルゲルもキュレも訝しく王女を見る。
「数百年……その間には幾人もの武器職人がこの剣の修復に挑戦して来ました……しかし、誰一人として完全な修復を成し遂げる事は叶わなかった……ですから例え魔界の名工と呼ばれているロン・ベルクの手でも必ず修復出来るとはわかりません……」
「ならば何故!?先程の様な事を……!?」
王女の言葉にやや苛立ちを込めてキュレが声を上げる。
「やめないかキュレ……」
「……!?も、申し訳ありません……」
諌めるルゲルにキュレは頭を下げる。
「いえ、そうですね……あなたがそう言われるのも無理のない事です……しかし、私の見解はこうなのです……魔界の名工ロン・ベルク……それと、もう一人……天界の名工ルゲル・ベルク、この二人の手によればこの傷付き眠るレーヴァテインに再び、あのフレイル王が携えていた頃の輝きと偉大なる力を取り戻す事が出来るのではないかと……」
「……!?ルゲル様と……ロンが……力を合わせるという事ですか!?」
キュレの目には不思議と希望の光が浮かんでいる。
「ホホ……これは、また懐かしい……ワシが天界の名工などと呼ばれていたのはもう二百年も前の話し……」
「いいえ……あなたの作る武器や防具を私はいつも一つ一つ見せて頂いております……決してその腕は衰えておりません……」
「あの居眠りをしながら作ったモノがですか……?ハハハ……」
「ル、ルゲル様……!?」
さすがにエルフの王女に失礼かと思ったのかキュレはルゲルの言葉に戸惑うと王女は柔らかく微笑んで言った。
「ええ、居眠りをしてあれだけのモノが出来るのなら尚更ですよルゲル殿……」
「ホホ!こりゃ一本取られましたな!!ハハハハハ!!」
「フフフ!」
ルゲルと王女は何故か楽しそうに笑い合っているが、キュレはハラハラしっぱなしで、とても笑えなかった。
「わかりました王女よ……この剣レーヴァテインはとりあえずワシに預からせて頂こう……傍においてワシもこの剣をどう修復出来るか研究してみますわ……」
「ありがとうございます……貴方ならきっとそうおっしゃってくれると思っておりました……ただ……」
王女は言葉を止めてその視線で懸念を示す。
「ロンの件に関してはヤツから何かしらの反応が示されなければ正直難しいですな……さすがにワシもコイツもあの大魔王バーンのところにまでアイツを取り戻しに行くのは躊躇われますでな……」
ルゲルの言葉にエルフの王女も深い理解を示しながら頷いた。そう、魔界の君主大魔王バーンの元にはエルフの王女とてそうそう赴くことは出来ないからだ。側近の話しによれば大魔王バーンの傍には常時、暗黒闘気を操る恐ろしい男が控えているらしい。そう考えればバーンの顔を見ることなくその男に消される可能性もあるのだ。
「ロン・ベルクの事に関しては私達も見守る他はなさそうですね……あの大魔王バーンがお気に入りの名工をそうやすやすと渡すとも思えませんから……」
「そういうことですな……全くヤツは何故バーン等についたのか……かつての弟子が本当に申し訳ない……」
その言葉にキュレは人知れず胸を痛めていた。
ロン・ベルクが魔界の名工と呼ばれている中でどうして大魔王バーンに仕えているのか……そのロン・ベルクの心の内をいくら想像しても今のキュレには理解出来なかったからだ。
「キュレ、どうした?」
エルフの王女の元に訪れた時の事を思い出していたキュレはルゲルの言葉に我に帰る。
「い、いえ……!?しかしエルフの先代王女からあのレーヴァテインを託されて随分と修復が進みましたね……」
キュレは、ルゲルの仕事場の奥にあるレーヴァテインに視線を向ける。
「まぁ…なんとかな……」
しかし、ルゲルはその言葉とは裏腹に難しい表情をしている。
「ご安心下さい……」
「……ん?」
「ロンは必ず連れ戻します!!」
そのキュレの言葉にルゲルは何も言わずにゆっくりと腰を上げてレーヴァテインを保管している仕事場の奥に向かう。
「では、行きます……」
キュレはルゲルに一礼して、踵を返す。すると、その背に向かってルゲルがくぐもった声で告げた。
「頼むぞキュレ……」
その胸に熱いものが滾るようだった。ルゲルのその一言の中には様々な思いがあることをキュレは解っていたからだ。ルゲルは普段は殆ど話すこともせず、常に黙々と武器の作成や修復に勤しんでいる。が、その心の奥底ではロン・ベルクの事を常に気に掛けている。口では自分の元から去っていったかつての弟子を悪くは言うが、本当に心から袂を分かったワケではないのだ。
共に腹を割って話せば恐らくすぐに解り合える筈なのだが、敢えてそうしないルゲルとロンにキュレは呆れながらも二人を再び繋ぐ架け橋となる役割はルゲルのもう一人の弟子である自分にしか出来ないと思っていた。
「はい……」
そう一言口にしてキュレはロン・ベルクの元に向かった。この胸にあるもう一つの想いを密かに抱えて。
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✦作者コメント✦
前回に引き続き、ロン・ベルク関連の話しになります。魔界の名工と呼ばれている彼ではありますが、やはりその師となる存在もいたのでは?と考えて今回オリジナルのルゲル・ベルクというキャラを登場させました。さらに、ロン・ベルクのいわゆる兄妹弟子という位置付けでキュレという女魔族のキャラも作ってみました。まぁ彼女もかなり重要なポジショニングを今後担う存在ですね。
因みにロン・ベルクのベルクとは、その鍛冶職人の流派の名称らしいので、正式にはベルク流のロンという事になると、三条先生があるところでおっしゃっておりました。
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